結語
本論文では、既存の世界人口の推計の歴史を追い、さらに現在わかっている人口データを過去2000年間の範囲で明らかにした。全く総人口データがないときに、都市人口構造を用いてそれを推計できるかどうかを既存データの分析を通じて明らかにした。具体的には上位x位の都市人口の合計という形で都市人口を指標化し、それを用いて総人口推計のモデルを構築し、世界人口に適用した。
世界全体について推計したという性質上、全体的なトレンドを追うことは可能であるが、実際の歴史研究においては、小さい地域でどのような変化が起こっていたか、それを明らかにすることも求められている。そのような場合にも本モデルが活用されることが望ましい。また、これらの都市人口構造の比較を通じて、ある時代、地域の社会の有り様を分析することも可能であろう。
過去において、人口調査を行ったという記録はあるが、その結果が今に伝えられていないことが多く、今後人口総数全体についての史料が新たに発見される可能性もある。また人口動態に関わるミクロな史料の研究が進み、そこから推計される様々な時代・地域の人口の動向が明らかになってきている。一方、都市情報についても、現在多くの地域で都市遺跡調査が活発化し、「歴史都市遺産保護」という観点から都市遺構、またそれに関わる史料の発見、保存、修復が進んでいる。このような流れの中で、今後歴史都市に関する多くのデータの集積が進むと見込まれ、それを使った総人口推計の方法を確立する必要があり、今回の試みは、その第一歩でもある。
「歴史」と呼ばれるものは、王朝の記録、史書といった主観的な記述を元に各時代の歴史家がその事情によって構成した記述を合成したものである。特に「世界史」といった場合、西ヨーロッパ史、中国史といった別々に発展してきた知識の集成を時間軸に沿って並べるところから始まっている。近年では、そのような地域史の枠組みを超えた交流史に対する研究が盛んになってきているが、地域横断的な歴史観を作り上げるときには客観的な情報が必要となる。「人口」は、人間一人を一単位とし、その大きさ、動向により社会を見る切り口を与え、地域が違っても人間が主体であることは地球上共通であり、世界史に対する客観的な判断が可能となる。
都市人口構造により推計した世界人口分布は、特に中世について、これまで考えられていたよりも欧米の人口比率が低く、南アジアの比率が高くなっていた。またこれまでの推計では14世紀の黒死病による世界人口の減少が示されていたが、本推計の結果では14世紀の黒死病は世界全体でみれば人口減少をもたらさず、それよりも13世紀におけるモンゴルのユーラシア進出による人口減少のほうが影響が大きかったことを示している。特に中世において東アジア以外は人口データが少なく、これまでの人口推計値もかなり「匙加減」により調節されていたと考えられるが、その結果世界人口値が欧米の見方に沿ったものとなった可能性は否定できない。
また人口統計制度に関しては、ローマ帝国と中国の人口統計制度を比較すると、その質及び残っているデータ量に大きな差がある。世界史というものが西洋を中心に発達したこと、中国史は中国以外には目を向けにくいことから、中国人口統計制度の優越性はこれまであまり強調されていない。しかし13世紀のモンゴル帝国拡大により中国的な人口統計制度がユーラシア全域に広がった可能性もあり、人口統計という今で言う「ガバナンス」は中国を起源とする、という見方もできるわけである。
人口という客観的な情報を基にすれば、一定の地域に偏らない公平な世界史観を構築することが可能となるし、このような見方が今後必要とされるのではないだろうか。
21世紀に入り、人口増加のスピードは世界的に減少してきている。長い人類の歴史からみると、近代の人口増加は産業革命による一時的な人口の拡大であったといえ、現在に至ってその変革は終わりに近づいている。過去を振り返ってみれば農業革命による人口増大の後にも停滞期が訪れ、それがすなわち本研究で対象とした過去2000年間の状況である。長いスパンの過去の人口動向を追うことは、今後の未来を予測するために重要な知見を与えうる。
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