第五章 考察 (続き)

4.  ヨーロッパ人口について
 本推計は、既存推計よりも若干低めの結果となったが、これは欧米についての推計が他推計よりもかなり低いことに起因するものである。欧米推計は、アメリカ、オセアニアの長期的な都市人口データが少ないため、ヨーロッパ、アメリカ、オセアニアを一つの地域として扱ったが、ヨーロッパは比較的都市人口データが多く、ヨーロッパのみ個別に推計し、欧米推計、および他推計と比較した。
 欧米推計では境界年は1850年としたが、ヨーロッパのみとした場合、それよりも早かったことも考えられ、暫定的に1825年を境界年とした推計も行った。
 本モデルでは、順位規模分布を形成するような都市はまとまった交流圏内に分布する、という前提があるために、イベリア半島、つまり現在のスペイン、ポルトガルに位置する都市については、イスラム圏内であった時代には中近東の十大都市として参入している。そのため、おおむね800年から1500年の間は、ヨーロッパ人口だけをとりだして見るとスペイン・ポルトガルの人口が含まれておらず、過小評価されていることになる。そのため、既存推計のうちスペイン・ポルトガル人口を示しているClarkの値を本推計に加えて修正した値も計算した。
 境界年前後の関係式、推計結果は表 ‎V-1、表 ‎V-2のようになった。

表‎‎V-1 ヨーロッパの十大都市人口と総人口の関係式(境界年以降、以前)

表‎‎V-2 ヨーロッパ総人口推計

* 境界年1825年推計にイスラム時代のスペイン・ポルトガルを加えたもの

 この修正推計値を既存推計と比較すると、800年から1600年まで既存推計に比べて一律に低くなっている(図 ‎V-10)。


図 V-10 ヨーロッパ総人口の推移

 ‎第IV章で、欧米推計は既存推計と比較して低いことを示したが、それは特にヨーロッパ人口が本推計で低めに推計されることに起因することがわかった。
 この原因としては、①境界年以前は都市構造が一定であったという本モデルの仮定があてはまらない可能性、②中世ヨーロッパでは都市への人口流入が制限され、都市人口が過小である可能性、③既存推計が過大である可能性、という3点を挙げることができる。
 まず、本モデルにおける仮定の妥当性については、100年や361年といった古代では他推計とそれほどかけ離れていないことから、妥当でないとはいえない。しかしその後古代から中世にかけて、ローマ帝国が崩壊し政治体制の変化とともに大きな交流圏が小さなものに分断された結果、都市の規模が縮小し、十大都市人口割合が小さくなり、結果的に本推計が過小推計になったということは十分に考えられる。
 ヨーロッパの十大都市人口数は500年や1000年では100年の半分以下に減少しており、また他地域と比べても、100年の時点では中近東や南アジア、中国とほぼ同じレベルであったが、1000年では中近東の4分の1、中国や南アジアの2分の1程度であり、その減少程度は著しい (表 ‎V-3)。

表‎‎V-3 十大都市人口の比較

注: 南アジアは本推計における区分であり、東南アジアも含んでいる。

 このような極端に都市人口が減少した場合は、ヨーロッパ地域全体が都市機能をヨーロッパの外に持つような社会であった可能性もあり、例えば中近東として分類しているコンスタンチノープル(イスタンブール)が背後に抱える人口はヨーロッパ人口が含まれているといったように、ヨーロッパ人口の一部は、他地域の人口に含まれていることになり、その結果本推計のヨーロッパ人口値が過小推計になったとも考えられる。
 第二点の人口移動の規制によるヨーロッパの都市人口が過小である点については、中世ヨーロッパにおける農奴は自由に居住場所を選べなかったこと、都市にはギルド制度がありそれに属さないものは都市民にはなれない、もしくは都市の居住許可が必要であった、ということが知られており、その結果、何も都市流入の規制がない場合に比べて都市人口が小さくなる可能性は十分にある。
 第三点の既存のヨーロッパ推計が過大であったかどうかについては、‎第II章で述べたように、中世ヨーロッパの総人口推計の根拠となるデータは1086年のイングランドにおけるDomesday bookおよび1377年の人頭税の記録、またフランスにおける1328年のかまど税徴収のための人口調査と非常に限られており、それら以外のロシアを含む広大な地域の人口は、人口密度や増加率を任意に設定して推計されていることから、議論の余地があると思われる。さらに根拠から総人口を適切に算定しているかについても検討が必要である。例えばフランスの1328年の調査では、2,411,148世帯(かまど)が記録され、この数字から平均世帯人員数を4.5人として1086万人という総人口が計算されているのは妥当であるとしても、さらに調査の対象範囲を現在のフランスの範囲に調整して設定された総人口は2000~2200万人(Levasseur1889)、1900万人 (Reinhard1968)などとされ記録値の倍程度になっており、はたしてそこまで大きな値をとりうるのか疑問が残る。
 ‎第I章で述べたように、世界人口はヨーロッパ人が早くから研究を始め、ヨーロッパ人口については詳細に研究されているものの、その根拠とするデータは意外に少なく、特に1500年以前の推計については、再検討の余地もあるのではないだろうか。


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