第一章
1.  世界人口推計の歴史

 「世界」はいかなるものかと論じるときに、まず人口が何人であるか、と考えるのは現代人の発想であり、歴史を振り返ればそのような世界人口に対する関心は17世紀とかなり遅い時期に始まっている。1661年にイタリア人のイエズス会士であるRiccioliは世界人口を10億人とし、その後ヨーロッパ人により数々の推計がなされ、1930年代国際連盟という枠組みでそれらが集大成された。第二次大戦後、より細かな時代区分とより長期の期間についての世界歴史人口のコンセンサスが得られたとされている。これら主要な世界歴史人口推計によれば、紀元1年で2~3億人であった世界人口は1000年までほぼ同じレベル、もしくは減少後微増を示し、その後穏やかに上昇しはじめ、1400年までに一時的な人口減少を示した後でさらに上昇し、18世紀からは大きく増大した(図 ‎I -1)。

図 ‎I -1 世界歴史人口推計値

 1661年にRiccioliが世界人口を10億人としてから4世紀近く議論が進められてきたが、その10億という数字は近年の推計では約半分程度となった。しかし、20世紀に行われた各推計は、特に紀元1000年以降は驚くほど近似している。これは、世界歴史人口の推計値は、データソースが限られ、不確定な部分が多いために、各研究者がそれ以前の研究者の推定値をそのまま借用、もしくはそれをもとに補正を加えて新たな数字を作る、という作業を繰り返したことによる可能性がある。またCaldwell(2002)は、国連を中心とした世界歴史人口のコンセンサス作りがあまりに断定的に行われた点を指摘している。
 近年、世界各地での史料研究が進むにつれ新たなデータが発掘されているが、それらはミクロレベルの分析に焦点が置かれており、マクロ的に世界歴史人口の全体像を示すものとしてはBirabenが、1979年の推計を再提示したもの(Biraben 2003)以外は特に新しい推計が出ていない状況である。
 17世紀当初は、同時代の世界人口に関する推計であったが、推計を重ねるにつれ、地域区分が細かく、また時代範囲が広くなった。推計地域区分については、McEvedy and Jones(1978)が国別まで細かく推計値を示し、推計時期については、Clarkが紀元14年まで遡った後、Birabenは、6万年前からの人口の推移を示した。
 しかし、これらの推計に共通しているのは、根拠とするデータがない時代・地域が多いということである。また根拠とするデータがある場合でも、そこから総人口を導き出す計算過程を具体的に示しているものは少ない。さらにそのデータの質は、時代別、地域別に大きく異なっている。
 したがって、合計値としての世界人口の動向が示されてはいるものの、その内訳は、精度に大きなばらつきがあるものの寄せ集めであり、データ精度が確保されない時代・地域については恣意的な要素が混入している可能性もある。
 以下、これまでの世界人口推計のうち、他人の数字を参照するのではなく、少なくともその推計の根拠について説明し、独自に世界人口の全体像が示したものについて、その推計方法と用いたデータを分析・評価し、世界歴史人口推計には未知の部分が多いことを示す。
 なお本論文では、長期の過去にわたる人口を扱うが、通常このような過去の人口は、現在・未来の人口と区別する意味で「歴史人口」ともいわれる。しかし煩雑化を避けて、ここでは「歴史人口」を単に「人口」とする。また「地域」とは複数の国が集まった地域とし、それは「大陸別」といった分け方に近いものであり、かならずしも国を細部に分けたという意味での「地域」を示すものではない。

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